今回ご紹介する裁判例は、定期昇給及び特別昇給にかかる労使慣行の成否が争点となった東京高等裁判所令和6年4月25日判決(労働判例1323号32頁)です。
少なくとも35年にわたり、毎年定期昇給が行われ、また、勤続10年目毎に永年勤続表彰として特別昇給が行われてきた学校法人において、平成28年度から令和元年度まで定期昇給及び特別昇給がなされなかったことに関し、労使慣行により定期昇給及び特別昇給を行う義務があったのかどうかが争点となったものです。
1 任意規定と異なる慣習(民法92条)
民法92条は、「法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う。」と定めており、定期昇給及び特別昇給が必ずしも給与規程等に定められていなかったとしても、民法92条の適用が認められれば、定期昇給及び特別昇給をする義務が認められることになります。
2 労使慣行に民法92条を適用する基準
労使慣行について、上記民法92条に定める任意規定と異なる慣習を認める基準について、例えば、大阪高裁平成5年6月25日判決(労働判例679号32頁)は、「民法92条により法的効力のある労使慣行が成立していると認められるには、同種の行為又は事実が一定の範囲において長期間反復継続して行われていたこと、労使双方が明示的にこれによることを排除・排斥していないことのほか、当該慣行が労使双方の規範意識によって支えられていることを要し、使用者側においては、当該労働条件についてその内容を決定しうる権限を有している者か、又はその取扱いについて一定の裁量権を有する者が規範意識を有していたことを要するものと解される。」と判示しています。
3 東京高裁の判示
本件においても、東京高裁は、「民法92条により法的効力のある労使慣行が成立していると認められるためには、同種の行為又は事実が一定の範囲において長期間反復継続して行われていたこと、労使協定が明示的にこれによることを排除・排斥していないことのほか、当該慣行が労使双方の規範意識によって支えられていることが必要であると解される。」とした上で、「定期昇給や特別昇給について、例年、本件組合と被控訴人との間で労使交渉の対象とされ、労使交渉の結果、その都度認められてきたものであって、これが、当然に行われるものであるとの認識を本件組合が有していなかった疑いが十分にあるといえ、本件全証拠を精査しても、この疑いを解消するに足りる的確な証拠は見当たらない。」「そうすると、控訴人らの主張を踏まえても、定期昇給及び特別昇給が当然に行われるものとして労使双方の規範意識によって支えられてきたものであるとは認めがたく、これが労使慣行になっていたものとはできない。」と判示して、民法92条の適用を認めませんでした。
本件では、労使交渉の議題として、定期昇給及び特別昇給が取り上げられ、組合から定期昇給及び特別昇給が要求され、定期昇給及び特別昇給を行うことが使用者から回答され、妥結協約書に定期昇給及び特別昇給を行うことが記載され、また、組合ニュースにおいても定期昇給及び特別昇給を行うことが記載されていたことが、それぞれの年ごとに断片的に書証として提出されていたという事案のようです。そうすると、定期昇給及び特別昇給が労使慣行として当然になされるものというよりは、組合が使用者との交渉の結果、毎年、勝ち取ってきたものだということになってしまい、定期昇給及び特別昇給が当然になされるものであるという認識が組合にあったとまで認定されなかったものです。
定期昇給は文字通り「定期」昇級ですから、多くの会社で定期昇給については毎年なされているのでしょうが、給与規程等に記載されていない場合も多く、会社が定期昇給について否定的であった場合に、従業員側の権利として定期昇給を求める権利があるのか(会社としては定期昇給させなければならないのか)否かについては、上記のとおり、民法92条により法的効力のある労使慣行が成立しているかどうかによります。そして、上記の裁判例のように、それが権利として認められるハードルは案外と高いのが実情です。
明日から新年度を迎える会社も多く、新年度から定期昇給される方もいらっしゃるかと存じます。定期昇給の法律的な位置づけについて説明させて頂きました。
(文責:川俣尚高)