昨年4月28日発行のニュースレター(140号)のこのコラムで、「適度な政策保有株式の継続保有の勧め」という記事を書いた、ことを覚えている読者の方は多くはないかも知れない。
ところで、金融庁は、業務改善命令を梃子にして、大手損保4社に政策保有株式の保有をゼロにするよう口頭で強く迫っていたようである。日経電子版の記事は、「『5年でゼロにできないだろうか』。金融庁監督局幹部は損保問題への批判が強まった昨年11月以降、東京海上だけでなく各社に繰り返し政策株の放棄を促してきた。」(2024年3月7日)と報じている。鈴木俊一金融相による本年2月13日の会見での「政策保有株式の売却加速は重要であると考えている。」との発言は、これと平仄が合っている。
しかしながら、金融庁が大手損保4社に対し、昨年12月26日に発出した業務改善命令には、政策保有株式をゼロにせよとは一言も書かれてはいない。それはそうであろう。保険の価格調整問題を政策保有株式が原因であると決め付けることは到底不可能だからである。それにもかかわらず、金融庁は、大手損保4社に対し、業務改善報告書に政策保有株式をゼロにすることを盛り込むことを強いたのである。その結果、ニュアンスは異なるものの、三井住友海上とあいおいニッセイ同和は2030年3月末までに、損保ジャパンは2031年までに政策保有株式をゼロにする(ゼロを目指す)と明記した。その中でも東京海上日動は、多少の気概を示し、達成時期を明示しなかった。いくら監督官庁とはいえ、政策保有株式をどの程度保有するかという私企業の経営問題に容喙するというのは極めて異常である。「金融庁が一連の不祥事を奇貨として、長年の課題であった政策株の解消を進めようとしたのではないかと勘ぐる向きもある。」(日経電子版同記事)というが、その「勘ぐり」は正鵠を射ているように思われる。なにゆえ金融庁がそこまで政策保有株式撲滅運動に執心するのであろうか。
振り返ると、2015年に金融庁と東証を共同事務局とする有識者会議で策定されたコーポレートガバナンス・コード(以下「CGコード」)(原案)が東証の有価証券上場規程として採用され、そのCGコードの原則1-4において、政策保有株式の保有方針の開示を求め、2018年のCGコード改訂においては、「政策保有株式の縮減に関する方針・考え方」の方針を開示することを求めるに至っている。これは、東証による全上場企業に向けての、政策保有株式を売却せよとのシグナルと受け止められている。改訂CGコードは更に「毎年、 取締役会で、個別の政策保有株式について、保有目的が適切か、保有に伴う便益やリスクが資本コストに見合っているか等を具体的に精査し、保有の適否を検証するとともに、そうした検証の内容について開示すべきである。」と、政策保有株式に焦点を当てしつこいほどの開示を要求している。そのうえ、CGコードのコンプライ率を公表し、同調圧力をかけるというすさまじいまでの念の入れようである。そして、ここに来て大手損保4社が金融庁から、政策保有株式を通じた企業とのもたれ合いなどと非難された挙げ句に政策保有株式をゼロにせよと責められてしまっては、「保有に伴う便益」の説明自体が、合理性を欠くという非難さえ招きかねない状況になってしまった。改訂CGコードによって、事業会社さえもが政策保有株式の継続保有の合理性の説明に窮する事態に立ち至っているとさえいえる。
要するに、政策保有株式の売却圧力が一層高まる状況が現出しているといえよう。
このようにみてくると、金融庁と東証は、手を携えて政策保有株式撲滅運動を展開し、助言会社であるISSやグラス・ルイスのはるか先を行っているとさえいえるだろう。政策保有株式の減少=安定株主の減少であるから、上場企業は、間違いなく株式市場というマネーゲームの坩堝の中に無防備状態で晒されることになる、否、現状でも十分に晒されている。1990年代以降、株式持合の比率はほぼ一貫して減少傾向にあるからである。だからこそ、東京機械製作所事件で最高裁が2021年11月18日に、あやしげな理屈で少数株主による臨時株主総会決議を相当であるとした東京高裁による同月9日の決定を是認するという苦肉の判断を下している。株式持合の利点として、グリーンメーラーや敵対的買収から企業を守るという効用が指摘されてきたが、政策保有株式撲滅運動においては、一顧だにされないようである。金融庁と東証は、市場原理主義に委ねることが善であるとでも考えているのであろうか。果たして、この運動によって得をするのは一体誰なのか、注意深く見守る必要があるように思われる。
なお、経済産業省が昨年8月に策定した「企業買収における行動指針」では、「敵対的買収」という否定的な印象を与える用語を止めて「同意なき買収」という価値中立的な用語への言い換えを殊更に行っている。金融庁・東証とのあうんの呼吸を醸し出している。